「SATOMINの独り言」

コロナウイルスと言う目に見えない、得体の知れない大きな脅威が全世界を襲っている。

そして、私を含めた多くの人の自由を奪った。そして奪い続けている。

当然、徳さんや関係者、多くの友人の身の上にも同じ事が起きている。そんな中、ふと自分が書いて来たこのブログを改めて読み返して感じる事があった。

アンオフィシャルで、徳ちゃんの事を勝手な描写で書き続けるSATOMIN’S ROOMは、私にとってなんなのかなって。なんの為にこれを続けているのかと、、

このブログを始めたのは、正確には1999年のhonestoツアー、神奈川県民ホールを最後に22年間の東京での生活に終止符を打ち、この宮崎に引っ越した事がきっかけだった。

最初は、遠く離れてしまった徳友さんたちに向けた私のパフォーマンスだったかもしれない。「今日のツアーは●●だったよ」「徳ちゃんの様子や歌声がよかったよ」的な。しかしこれも普通の人なら2~3年で終わってしまうだろう。しかし、私はいまだにこれを続けているし、今後もやめる気は無い。文面から見える一瞬一瞬の想い出が生き生きとしていて、私の中の徳な刻印は、読む度に瞬時に目覚めてくれる。

1993年、徳永英明と言うアーティストのファンになり、私の人生の傍らに、常に彼の歌声と笑顔が横にあった。いつの間にか、私にとっては無くてはならない唯一無二の存在が「徳永英明」なのだ。私の頭のカレンダーは、●●年の●●ツアーの前、、や後、、、とか、ツアーとカレンダーが連携してしまっている。徳なライブメモリー=SATOMIN’S ROOMなのだ。

公のブログで徳ちゃんへの愛を綴る、いかれた女では無いのは承知して欲しい。理性を持つ大人な1人の女性である。皆さんと同じように仕事を持ち、愛する夫を持つ1人の主婦でもある。っていったい何を書いているのかわからなくなって来たが、、今日、私のブログを読んでいて、たまには、心の声を書いてみようと綴ってみた。

今後、このブログ、SATOMIN’S ROOMから生まれたエピソードや独り言を書いて見ようかと思います。徳さんを知った1993年から、27年と言う歳月が流れているし、これからも流れ続けるから。