番外編

T・N 氏

あれはそう、2003年2月27日
SHIBUYA-AX Birthday Live
1,000名限定のご招待コンプリートライブから徳さんのバックメンバーを務めた方。
キーボード&ハープ&パーカッション担当だったT・N 氏

徳ちゃん復活劇の衝撃も去る事ながら、私にとってはこのSATOMIN’S ROOMがあってこその衝撃の出会いだった。それまでもアルバムの編曲者としての名前だけは知ってはいたけれど、まさか。

その数か月後だったか、SATOMIN’S ROOMから問い合わせが来た。
いつもの様にメールを読んでいた。

…固まった。

そして、神奈川の徳友さんへ電話をかけた。
なぜ電話をかけたのかは覚えていない。多分3人位に電話したと記憶している。
とにかく、このメールが本物なのか、いたずらなのか、内容の精査をしたかったのだと思う。

メールには、自己紹介など、しっかりと書かれていたのだが、疑心暗鬼。

徳友曰く、「多分本物だから返事を返した方がいいよ」って言う意見を信じ、こわごわメールを返信した。
結局は、本当に、徳さんの新しいバックメンバーのひとりであったT・N 氏からのものであった。

詳細、詳しくは書けないが、この後、2003年の8月。「青い銀河の夜」のライブ後、福岡のライブハウスBack Stageで。
2005年2月「MY LIFE」のライブ後、同じく福岡のライブハウスBack Stageでと、T・N 氏と直接お会いする機会を得られたのです。

この件をきっかけに、当時のバックメンバー。
ギターの古川さん、リズムギターの飯室さんとも直接お話しする機会を得られて、素敵なライブ時間を過ごせたのでした。

当時は、復活直後の徳さんに夢中で、青、黄色、赤太、MYLIFE、名古屋のB&Gと走り続ける徳さんを支えるバックメンバーにも直接エールを贈る機会を得られた事で、最も思いれ深い数年であったなぁと。

SATOMIN’S ROOMの存在が無ければ、それは叶わない事だったろう。

ネットでご飯を食べている私が言うことでは無いが、今更ながら、インターネットの世界は馬鹿にできませんよ。目には見えない可能性が隠れている。

コツコツと、長く一つの事を続ける勇気。これを続ける決意の一因がここにもあったと思っている。ご縁は何処にあるのかわからない。

今後、コロナから世界が解放されて、どう言う流れが生まれていくのかはわからないが、私にできる事は、これからもずっと続けていく。