水郷柳川の川くだり

徳ちゃんを語る時に欠かせない過去のくだり。
福岡県柳川市生まれで、中学〜高校時代は兵庫県伊丹市という生誕からの生い立ち。
特に「柳川」と聞くと、どうしても徳ちゃんの事を思い出す私が居る。

あれは、徳ちゃんの15周年を迎えるはずの祝いの年。
2001年3月からのThe Best of Glowツアーがはじまってのち、5月20日のライブを最後に、モヤモヤ病の発症でツアー途中から休養となり、残りのライブが中止となった年。
あの時、私は、徳ちゃんの入院に落ち込み、心配とショックで寝込んでしまった年。
暑い夏のある日、そんな私のもとに岩手のたまちゃんからお誘いが入った。

徳ちゃんの回復を祈り、柳川で落ち合おうじゃないかと。
そう、徳ちゃんのルーツを見に行こうじゃないかと。

最初は2人で行くつもりが、結局7〜8人が集結した。岩手、新潟、熊本、佐賀、久留米の徳友と、はじめましての方も居たか。私の場合、東京、神奈川圏の徳友が多いのだけど、2000年の九州行脚のお陰で、ここ、九州にも数人の顔見知りが出来たばかりだった。

徳ちゃんの回復祈願は、太宰府天満宮。お参りを皮切りに、いざ、柳川へと足を踏み入れた。
ここでは、久留米の徳友さんが赤い旗を持って(笑)みんなをナビゲート。早速の柳川くだりへと。
ワラで編んだ三角のおっきな帽子みたいな、あ、スゲ傘か、そのスゲ傘を無理やり被されて舟に乗りこむ。
年配の船頭さんは、匠の技で舟を操った。スゲ傘と類い稀な手捌きで、心地よくて涼しかった。緑濃く、川面が揺れて綺麗だったなぁ。

古いお堀に囲まれた情緒ある川くだりの後半で、「この先が徳永英明さんの住んでた家」って!えっ。
た、匠、個人情報言っていいのか!
誰も彼のファンだと一言も言ってないのに。って事は、毎回だれかれかまわず言うの?やめてよ船頭さん!と思いつつ、しっかり見てきました。が、そんな思い出。

もちろん、舟を降りたのち、徳ちゃんの大好きな「珍竹林」の「焼きそば」を優しいご夫妻の笑顔と共に頂きました。
珍竹林の奥さんの話しで、小学校も近いから行ってみれば?と言うことで、福岡市立別府小学校へ。
確か、昔の徳ちゃんの動画か写真でブランコか鉄棒で遊んでるの見たよね、的な話題。
広い運動場が印象に残っている。
あの時、ご一緒した大草さんは、数年前、産後すぐに亡くなってしまったそうで、私にとっては、沢山お話しした唯一の機会で更に思い出深い。その後何度もライブで会った彼女は元気そうだったな。って・・・

そんな真夏の柳川くだり。

この徳ちゃんルーツの旅で元気をもらった私は徳友の大きな愛で救われたのである。

その後、徳ちゃんも順調に回復し、ファンサービストークライブを経て2003年2月27日の誕生日に渋谷AXでの奇跡の復活劇を魅せて貰う事になる。

これ以降、ライブに行くたびに泣き虫SATOMINになるのであった。
実に愛しい、懐かしい思い出だ。