ファンサービストークライブ ”トークライブ& more”
11月23日~12月23日 復帰後初となるCD or DVD BOX購入者イベント
「徳永英明トークライヴ & more」開催(全国5会場)
東京、名古屋、福岡、大阪、札幌 (11/23,24,30 12/1,15,23)計5会場で開催
-復帰記者会見の様子はこの記事の最後に記載してあります-
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“トークライブ& more” は 限定発売されたDVD及びCD BOXのいずれかを購入され、参加を希望された方対象に、ユニバーサルミュージック主催にて、国内各地<東京、名古屋、福岡、大阪、札幌>にて行われた、ご招待トークライブになります。
※掲載内容は著者「 SATOMIN 」が参加した会のみとなります。
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◇福岡 2公演中 初日に参加)◇ 会場:ブルーノート
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進行については東京と同じですが、この日東京と大きく違ったのは「 会 場 」でした!ブルーノートの収容人数は2百人強…
そうです。德永さん含め 会場中が超密着!すごい事になってました。おまけに課金ですがお酒やジュースも飲みたい方は飲める状況で、すごくアットホームで良かったです。席自身は1階席とちょい高い2階席…と言っても階段2個分くらいの高さの差で、円卓を囲み6人がけのテーブルです。
司会者は「ヤマモト マリコさん」何処かのラジオ局のアナウンサー?かな??詳しくは不明。
德永さん→今回はなんと、皆の席の間を通ってちょっと高いステージへとかけあがられました。 会場が近すぎて緊張されていたご様子。
手を伸ばせばそこに德永さんが… 声援は大噴火状態。
11/14の復帰記者会見時の心境や今の気持を話してくださいました。自分のヨロイを取り外した?とか…歌手・德永英明のカラーを破った?とかっ。
今回は、私にとってラッキーデー!あらかじめ書いて送っておいた、私の質問が最初に読まれました。
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○德永さんがステージに立たれて、一番最初に目にする 会場の席はおおよそどの辺なのかを教えて下さい
私は、両手で「ここにいま~す」って感じで德永さんに手を振りました…超緊張。軽く片手上げ挨拶をしてくれた德永さんに私の姿が見えたのかは不明です??(後ろの席だった)
まずは この辺から と 最前列の方を指差して、「君達ラッキーだね♪“僕は、目が余り良くないから、照明が暗いと余りよく見えないんだよね” ・・・ 「って事は 私の姿も見えてなかったことに!!」心の声
照明さん → 突然 会場を明るくしました!「お~~見えてきた見えてきたっ」って言われて「こんなに多くの方の前に立って照れないはずが無い」ともっ!「恥ずかしい、恥ずかしい」と言って 照明さんに 照明落としてと催促されて、思いっきり後ろに下がる德さんに、元の位置まで戻るようにと、司会者の方。(爆笑)この日はこの光景が何度となく繰り返されました。
○ラッキーアイテムは身につけていますか?
の質問では、左足首にブレスと言うかアンクレットをつけているとの事。足首の捻挫にも良く効くとか、進められたそうで 野球選手とかも、つけてるらしいです。たぶん)チタンみたいな物で、…。「タキオン」とかって言うものらしいです。チタンとはエネルギー的に違うとも…ウル覚え(~~;)
そして 『Tシャツと握手の抽選会』
とくに、Tシャツは、昔のサイン12枚?書いてる途中まで、気がつかなかったと言う元サイン!超レアもの。残りの方は現在の新しいサインです。
德永さんは、今まで、がちゃ歯で八重歯が嫌で、そんな自分を今まで隠してたけど、今ではありのままの自分を出したいと言う事で、自然な彼らしい写真を撮ってもらうようにしたのだそうです。そして、そんな自分に近い写真を出してもらうようにと。話す德さんの顔は、とても清々しい笑顔でした。
“今日は僕について来てくれたメンバーの一人が、来ています”紹介されて、同じ通路を辿って 飯室博さんご登場。
髪の毛を一つに束ねた飯室博さん “ピアノの後藤郁美さんがいないので、彼の分までいじられました”
(一部、もんもんさんのメモ参照…)
下半身ネタは健在!内容は良く覚えてませんがかなり笑わせてもらいました。他は、関西人の怖さ??学生時代、福岡から伊丹に転校した際にあったいじめの話。
<内容>学園のマドンナの子と德永さんが、交換日記をしていた。その子の前で大きな体の友人にいじめを受け、その姿を、その女の子が「可愛そう」っていう顔で見ていた。その顔が心に痛くて、思わず「死んでもいい」って思い、大男に向けた拳が大ヒット…翌日から「いじめ」が無くなったって話。可愛い恋ですね!
実際に歌った曲は「presence」「 I’M FREE」でした!
会場いっぱいに聴こえる德永さんの歌声は、素晴らしいものでした。力強く、優しくて暖かいものでした。ホンワカとしてて、みんなの笑顔。 とても不思議な空間。
確かに「ブルーノート」は音響が良く、しっかりとした音なのに、優しく響く感じです。德永さんいわく、「音の良さについて、他のミュージシャンが、ここを誉めるわけが判った」と。「テスト前は、人が入ってなかったから、実際はどうなのか心配だったけど、実際に人が入っても、音のひずみが無い」 「今度は 自分がお客になって この辺で聴いてみたい」と中央側を指されました(笑)
注目MCは、「5万円のディナーショーをここでやりたい」と。おいしいディナーと曲は3曲???
( 3曲かい!っ(゚゚;)\(–;) ) のディナーショウ・・・冗談だって言われてましたが、本当に実現するといいですね!
[ これが実現すると、そうとうすごい「座席奮奪戦」間違い無し!おそろし~~。]
福岡では、翌日、2曲のラジオ局で公開放送に出演されました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━あとがき━▼━━━
まるで、病気なんか無かった事のようにさえ見えた德永さんは、本当に心強く感動させて頂きました。ちょっと期待していたんですが、まさか2曲も生の歌声を披露して頂けるとも思っていなかたので、今回のライブは今までには無かった大きな感動を頂きました。見た目の雰囲気は全く変わりない感じで、返って若返ったイメージさえ残っています。短髪に顔の顎にうっすらと髭をたくわえて、燐とした表情が大変頼もしかったです。
今回印象に残っている言葉はもう一つ、以前の德永さんのレーベルであるバンダイさんが倒産された事で、以前のアルバムやシングルが店頭から姿を消し、現在のレーベル「ユニバーサルミュージック」にて復刻を果たした事。消えていたその時代の自分の分身たちが、改めて店頭に姿を見せた事の喜びを、大きく語っていらっしゃいました。
東京では、自分の今回の病気の件で、大変難しい状況にあったにも関わらず、ファンの方達の「会いたい」や「祈り」の気持でここまで来れたとも!
「歌いたい」と自分で思った感謝の気持を述べられました。ファン一人一人の見えない気持の大きさを痛感させて頂きました。
笑い話では、松山ちはるさんが電話で「お前よかったな~、新しい血管が出来て!」って話をされたそうで、「そうじゃ無いでしょっ!」 「新しい血管なんかできるはずがない。」
これは德永さん自身の忍耐と自信のなせる業だと思いました。
今回も多くの德友さんとの再会を果たしました。特に東京ではライブ前から、遅くまで…楽しい時間を過ごせました。
東京でのエピソードは、 会場内で、お隣になった上品な年配女性の方が息子さんと一緒にいらしていて、同じ屋根の下お母さんと息子さん、それぞれが今回のCD&DVDを購入されて、ライブに来られていた事。お母様は「德永さんは老後の楽しみ・生きがい」と迄…ちょっとじ~~~んっ。
他に、会場入り前にお知り合いになった方が德ちゃんとの「握手&ポラロイド撮影」に当選された事…新潟の德友さんも翌日当選されたとか…いいな~ですね。
福岡では、これまたびっくり。年配と言っても、私の母以上のご年齢の方。会場入待ちの時から、涙を流して德永さんを心配していました。とにかくずっとでした。私だって負けないくらい德永さんを大切に思いますが、そうとうな気のいれようでした。彼女は「德永さんの為に生きてるの」なんて泣かせてもらいました。結局、この後、私は彼女からのお手紙を頂く間柄になっています。
毎回德永さんのライブではいろいろな方とお知り合いになりますが、德永さんのファン層の厚さにすごく感動しています。人間同士の軽い袖の振り合いなのですが、とってもあったかくて良い時間を頂きました。
この年の関連情報 |
2002年11月14日 初の復帰記者会見 ユニバーサル ミュージック移籍を発表2001年5月下旬の入院以来、1年半ぶりに姿を見せてくれた德永さんは元気な様子で、短髪にイメチェン。「ようやく歌えると実感している」「新しい人生が始まる、という心境です」と明るい表情で語っていました。レコード会社もユニバーサルミュージックに移籍し、晴れやかな表情を見せてくれました。 「これを機に新しい德永として、自然体で歌っていけたらと思っています」。德永さんは照れくさそうな笑みを浮かべながら、気負わず淡々と 復帰宣言 をされました。これまでの長い髪をばっさりと切り、精かんな短髪姿に変身。あご髭は以前のまま、灰色セーターにジーンズと、まさに自然体。スリムな体形とさわやかな笑顔はそのままでのご登場。かえって若返った印象がありました。德永さんが倒れたのは2001年の5月19日。The best of Glowの全国ツアー中でした。 翌5月20日(日)の長野県県民文化会館の公演終了後から入院。「モヤモヤ病に伴う一過性脳虚血発作」と診断され、これ以降のツアーとスーパーサッカーのメインキャスターをキャンセル。その時の症状は、「頭が痛くなり、しびれたり言葉がうまく話せなくなった。歌っていてもテンポが遅れてしまう」と話されました。脳の手術は免れましたが、約1カ月間入院し、その後も長期間の通院・検査と静養を余儀なくされました。「手術せずに済んだのはラッキー、でも検査はつらかった」と、あくまで深刻さは見せないで、明るい感じで話されました。 「焦りはあります。でも焦っても仕方ない状態だし、ゆっくり治そうと思うようになった」と。次第に症状も落ち着き、2002年後半からレコーディングに突入。 「 音楽観、人生観も変わった」と德永さん。「カッコ付けなくていい。あるがまま、ふだん着の自分で生きればいい」「大げさな主張より、この瞬間をどうするか」「楽しく歌いたい。過去はしかめっ面が多かった」…などなど。 病気は完治というわけでは無いとの事ですが、「うまく付き合っていきますよ」と、音楽にかける情熱を語ってくれました。 もやもや病「モヤモヤ病」による活動休止からの復帰記者会見以降、本名に改名しました。 |