2002年復活ファンサービス◆東京

ファンサービストークライブ  ”トークライブ& more”
東京、名古屋、福岡、大阪、札幌 (11/23,24,30 12/1,15,23)計5会場で開催
-復帰記者会見の様子はこの記事の最後に記載してあります-
━▼━背景
“トークライブ& more” は 限定発売されたDVD及びCD BOXのいずれかを購入され、参加を希望された方対象に、ユニバーサルミュージック主催にて、国内各地<東京、名古屋、福岡、大阪、札幌>にて行われた、ご招待トークライブになります。

※掲載内容は著者「 SATOMIN 」が参加した会のみとなります。

━▼━REPORT
◇東京 初日4公演中 2回目参加( 会場客数ほぼ500位)◇
━▼━REPORT

会場は丁度学校の体育館を少し小さくした感じで、そこに折りたたみの椅子が並べられていて、あらかじめトニーズさんから送られて来た整理番号順に腰掛けて行くスタイルでした。この会の立ち見の方も多かったのですが、後ろの方では無く、壁側の左右に一列で立つ形でしたので、椅子にかけていた私達よりも、德永さんがご覧になれたと思います。逆に立って見た方達の方が良かったかも!きっと不満は無かったと思って見ていました。

さて、本題。

司会はおなじみの徳さんのラジオ番組「ラフ&ドリームス」で德永さんと一緒にラジオ出演をしていた「酒井道代さん!」とってもキュートな方。

「2003年1月22日(水)に発売予定」のSINGLE「君をつれて」のPV放映!!!力強い歌声と、髪の毛を無造作に立ち上げた短髪の德永さん。白い大きなキャンバスへ書く色とりどりの大きなハート。画面いっぱいに両手を広げ、素敵な歌声を披露!德永さん本来の持ち味で、高い綺麗な声の、乗りの良い素敵な曲…私は思わずここで涙がでそうになりました。

その後、「待ってました!!」 と全員で叫んだ呼び声。

そして、いよいよ、德永さんご登場…久々に会えたお顔はすっと絞まって あごひげに短髪!!
※呼び声ですが、前の会では「お帰りなさい」。この後の会では「元気ですか?」だったそうです。德永さんの答えは「ぜ~~んっぜん元気だよ!」との事※

まず、覚えているMCは緊張して朝の6時まで寝られなかった話しとか、「わぁ~~」っていう会場からの「気」が押し寄せて来たらどうしよう、と思われていたそうですが、皆さん一律に穏やかに德永さんを迎えてくれて、すごく良かったとおっしゃっていました。私的にも大変あったかいものを感じていました。

MCでは、久しぶりに、JRへ一人で乗って、年配の方に声を普通にかけられた話しとか、誰も自分に気ずいて貰えなかったとか。JRカードの「タッチ&GOのスイカ」の事を、食べる「すいか?」 と勘違いして見たり。とっても元気な語りで楽しませて頂きました。11/14日の記者会見後には、普通の方に、「德永さん、この度は…」みたいに気軽に声をかけてもらった話。

まず、あらかじめ、ホームページ上から応募のあった、德永さんへの質問を選別してのやりとりから。

幾つか記憶に添って書きます。(順不同)

○テレビドラマの好きなジャンルは?テレビはあまり見ないけど、うまい役者が出てる「愛なんていらねぇよ」の「レイジ」が気になったと言う話。

○「体系を維持する秘訣は?」全くかまってないと。「あのダイエット器具はどうなったの?」の問いに、最近は使って無くて、太ったから「自転車で遠出」をしたりジョギングで体作りをされていたとか…。

○年をとったな~と思う瞬間は?階段を登る時に感じるとかっ。笑い話で何かのプレゼントが「とくながと一緒にジョギングできる!」「いかがですか?」とか、冗談を言われて、場を沸かせていました。自転車では一日30K位走っちゃうって話しでした。??

後、20名の方へ 『Tシャツ』 を抽選で德永さんが直接抽選!!

な~~んと5名の方が 『德永さんと一緒に・ポラロイド撮影・サイン・握手!』

Tシャツは 『ファンクラブで売れ残ったTシャツだ』 って!そのTシャツの柄が「日本っぽいけど、外人には好評だ」とかっ。Tシャツの当選者は帰りに半券と引き換えに、德永さんと握手できた方はステージ上でご本人と並んでポラロイド写真を写し、サインを書いて頂き、握手など…羨ましい光景でした。

見所はココから~↓

ステージ上に置かれた椅子に掛けながら德永さん→「ほら!俺 喋りが下手だから、、、!?」

会場→「うっそぉぉ~~」とブ~~イング?! 德永さん→ ニコッ 「冗談 冗談」

そして さっそうと、飯室博さんご登場…彼のギターをバックに素敵な歌声をプレゼント…I’M FREE

… I’M FREEを歌われた後、「イェイ~」と一言。鳴り止まない拍手の音が一瞬静かになった瞬間、
はにかみながら 「どう?どうよ?」 って自分の唄の出来を 私達ファンへ問われた德永さんへ、会場一杯の声援と大きな拍手は、その意味を確実に德永さんへ向け伝えたはずでした。そして、感動いっぱいの思いへと結んでいました。素晴らしい時間でした。

※ちなみに前回の会では 「アベマリヤ」 を歌われたそうです。会によって交互に歌われたとの事でした※

そして、今回CDBOXに収録されている…presence

MCでは德永さん自身の「唄いたい」思いを伝えて頂きました。それと、ファンに向けてのお礼の言葉…実際にあの歌声を多くの方に聞いて欲しい…德永さんの声を伝えたい!

飯室博さんのギターをバックに熱唱される德永さんは生き生きとして輝いていました。 心から 「お帰りなさい」 「ありがとう!」

━▼━番外
2002年11月14日 初の復帰記者会見が行われました。
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2001年5月下旬の入院以来、1年半ぶりに姿を見せてくれた德永さんは元気な様子で、短髪にイメチェン。「ようやく歌えると実感している」「新しい人生が始まる、という心境です」と明るい表情で語っていました。レコード会社もユニバーサルミュージックに移籍し、晴れやかな表情を見せてくれました。
「これを機に新しい德永として、自然体で歌っていけたらと思っています」。德永さんは照れくさそうな笑みを浮かべながら、気負わず淡々と 復帰宣言 をされました。

これまでの長い髪をばっさりと切り、精かんな短髪姿に変身。あご髭は以前のまま、灰色セーターにジーンズと、まさに自然体。スリムな体形とさわやかな笑顔はそのままでのご登場。かえって若返った印象がありました。

德永さんが倒れたのは2001年の5月19日。The best of Glowの全国ツアー中でした。
翌5月20日(日)の長野県県民文化会館の公演終了後から入院。「モヤモヤ病に伴う一過性脳虚血発作」と診断され、これ以降のツアーとスーパーサッカーのメインキャスターをキャンセル。その時の症状は、「頭が痛くなり、しびれたり言葉がうまく話せなくなった。歌っていてもテンポが遅れてしまう」と話されました。

脳の手術は免れましたが、約1カ月間入院し、その後も長期間の通院・検査と静養を余儀なくされました。「手術せずに済んだのはラッキー、でも検査はつらかった」と、あくまで深刻さは見せないで、明るい感じで話されました。
「焦りはあります。でも焦っても仕方ない状態だし、ゆっくり治そうと思うようになった」と。次第に症状も落ち着き、2002年後半からレコーディングに突入。
「 音楽観、人生観も変わった」と德永さん。「カッコ付けなくていい。あるがまま、ふだん着の自分で生きればいい」「大げさな主張より、この瞬間をどうするか」「楽しく歌いたい。過去はしかめっ面が多かった」…などなど。
病気は完治というわけでは無いとの事ですが、「うまく付き合っていきますよ」と、音楽にかける情熱を語ってくれました。

2002年の関連事項

11月ユニバーサル ミュージック移籍を発表(復帰記者会見)